髪が薄くなってきた。残ってる髪も白くなり何とも心もとない。そこで面倒とばかり、バリカンを買い込み坊主頭になってみた。
どうしてどうして、これが中々いけている。外見は兎も角、気分爽やかであり、爽快である。朝、顔を洗うと同時に水道の蛇口の下へ頭を持って行く。石鹸を付け、ゴシゴシト洗う。乾いたタオルでつるりと拭えば終わりである。痒み防止と言い訳しながら、残っている育毛トニックを振りかけ、髪が濃くならないかと、いちるの望みを託す。
ユールブリンナーとまではいかないが、外見も捨てたものではない。そういえば、われわれの子供のころは、坊主頭であった。
初めての経験ではなく。元に戻っただけなのである。
坊主頭の景観
昔、船乗りだった私は相模湾の真鶴にヨットを係留し、海との関係を保っています。かって、海を捨てたことへの贖罪なのでしょう。また、山に郷愁を覚え、1年の大半を八ヶ岳の山ろくで過ごしています。標高1000メータの地で、自然へドップリト浸かり今を生きています。
2011年8月29日月曜日
2011年8月19日金曜日
六時間の小さな冒険
母港、真鶴港の風越
試したことの無いことに挑戦するのを冒険というのだと思う。そしてそれは、命にかかわるかもしれない緊張感を伴うものでもあろう。
二十数年前の初夏の週末、私は伊豆半島の先端近くにある稲取港に停泊していた。降ろしたての小型クルージングヨット「風越」で、クルーは長男(当時東京商船大学生)と他の二人、私を含めて四人が乗り組んでいた。稲取は良港でそして温泉の出る観光地でもあり、私の好きな港の一つである。
上陸し温泉に入り、うまい魚料理を食べ船に帰ってのんびり過ごす。クルージングの醍醐味を満喫していた。ラジオの気象情報で天気図を作り、明日の航海の準備等を終え眠りについた。
翌朝、空は低い雲におおわれ流れも速い。朝の天気図では前線が近づいていることを知らせていた。日程に余裕があれば、日和見をして停泊を続けるべきだが、明日の月曜からは仕事がある。
ヨット一隻が伊豆大島に向けて出て行った。長男と相談し、出港を決断、荒天準備をして、出港した。
沖はやはり荒れていた。ジブ(前帆)をたたみ、エンジンとメインセール(主帆)での機帆走で走り始めた。
東北東で風力五、秒速十五メーターの風、進路は北、斜め右のアゲインストの風になる。スプレー(飛沫)が船上にあがる。なれない二人をキャビンに入れ、ハッチを閉める。海はもう真っ白、セールを半分にリーフ(縮帆)する。ハーネス(命綱)で身体を安全索につなぐ。海岸から離れて走る。バウ(舳)は浪に突っ込みデッキを潮が洗う。着ているカッパは濡れて光っている。熱川,城ヶ崎、川奈崎とやり過ごし、五時間ほど二人で苦闘した。
伊東の沖、そして初島まで来た。風も凪ぎいつもの慣れ親しんだ海に帰ってきた。
びしょ濡れの長男が言った。「親父さん、口の周りが真っ白だよ」。私は緊張のあまり口がからからに乾いていたのである。キャビンの二人もデッキへ出てきた。あと一時間で母港真鶴へ着く。
翌朝、私は東京の事務所で仕事をしていた。
2011年8月9日火曜日
北海道 大雪山縦走
若い仲間達(と言っても還暦前後)と大雪山を縦走してきた。
前夜層雲峡に泊まり、7月11日始発の黒岳ロープウェイでスタート、黒岳から北鎮岳に寄り旭岳への8時間の歩きだった。
残雪も多く久しぶりの長い歩きで疲れたけれど、好天に恵まれ、美しい花にも会えた楽しい山行きであった。
写真を数葉ご披露したい。
撮影は仲間のと私のと混在
黒岳頂上
青い池
雪渓で苦しむ
前夜層雲峡に泊まり、7月11日始発の黒岳ロープウェイでスタート、黒岳から北鎮岳に寄り旭岳への8時間の歩きだった。
残雪も多く久しぶりの長い歩きで疲れたけれど、好天に恵まれ、美しい花にも会えた楽しい山行きであった。
写真を数葉ご披露したい。
撮影は仲間のと私のと混在
黒岳頂上
ちんぐるま と つがざくら
青い池
お鉢平
旭岳頂上
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