昔、船乗りだった私は相模湾の真鶴にヨットを係留し、海との関係を保っています。かって、海を捨てたことへの贖罪なのでしょう。また、山に郷愁を覚え、1年の大半を八ヶ岳の山ろくで過ごしています。標高1000メータの地で、自然へドップリト浸かり今を生きています。
2012年3月31日土曜日
盗人にも三分の理
石川五右衛門も苦笑い。
岩手県選出の大物議員と称するなにやら物騒な政治家が居る。政治資金で不動産を買いあさり、資産を増やすことをもって、政治と心得ているらしい。沖縄の基地が予想される場所でも、土地を買いあさってるとの報道もあった。目下、被告人となり裁判中でもある。その裁判中での申し開きのなかで、「自分は天下国家のために尽力している」と言い放っていた。「盗人にも三分の理」という諺もある。困ったことであり、悲しいことである。間もなく裁判の判決が出るらしい。証拠不十分で無罪となっても、不正があったことは皆承知している。その政治家の子分といわれる政治家達が大勢で、数を誇示し政争に明け暮れている。
岩手県は、藤原三代や宮沢賢治が有名であり、印象としては素敵な地方と認識していた。こんな困った薄汚い政治家を選出する県と知り、いささか印象が変わってしまって来ている。
盗人親分とその子分たちの言動をみて、大昔の大泥棒の五右衛門もきっと苦笑いをしていることだろう。政治の貧困極まれりというべきか。消費税問題で混乱する政治を見ての思いである。
相模の国へさようなら、信濃の国へこんにちは。
相模原を生活の拠点として、長い間暮らしてきた。若いときには東京での勤務にも都合がよかった。昭和30年・40年代にはまだ自然が多く、子供を育てるにも適していた。しかし最近は都市化が進み、田舎の風景は急速に消えてしまった。仕事をリタイアしたあとは、自然にふれる機会が多い田園地帯に住みたくなるものである。
私は12年前、八ヶ岳の西に位置する茅野へささやかな居を求め、住み始めた。
首都圏から離れるのも少し淋しく、また海が大好きで、ヨットを真鶴に係留していたこともあり、相模原と茅野を行き来していた。最近では茅野で過ごす期間が多くなっていた。昨年末、ヨットを手離したこともあり、茅野に移住することにした。相模原には結婚した長男が、そして私は余生を茅野でとなった。
相模原へは長い間お世話になったことを感謝し、茅野へはどうか宜しくお願いいたしますという心境である。
相模の人から、信州の人へ4月1日をもって変った顛末である。
2012年3月12日月曜日
春の雪だるま
春の雪ダルマ
3月9日、10日と雪が降った。20cmほどの湿った重い雪が20cmほど積もった。丁度孫達が来ていて大きな雪ダルマを作った。
真冬の寒い季節の雪は、さらさらしていて雪は固まりにくく雪ダルマでも作りにくいものであるが、今回は比較的楽に作れたようである。
孫達の母親がヨーロッパ出張で、預かることになった。5歳と3歳の男の子である。私たちも年子の息子二人を育てた経験があるのだが、スッカリ忘れており、てんてこ舞いの毎日である。疲れはするが、幼児との緊張感のある時間を過ごして若さを取り戻している。大きな雪ダルマをご紹介する。
2012年3月3日土曜日
シジュウガラ来訪
シジュウガラが居つき始めた
一月ほど前から、シジュウガラが巣箱をのぞきに来るようになった。母屋の軒と、井戸の東屋の軒と2箇所に巣箱を毎年掛けている。
春めいてきた最近は2羽で頻繁に来るようになった。今年は雛を育てるに違いない。どちらの巣箱を使うのだろうか。
去年は雀が先に巣箱を使い始めてしまい、彼たちは子育て出来なかった。私は時期が来る前に、巣箱から古い巣を取り除き掃除して置く。そして巣箱に這入り易いように、杭を建て止まり木を作っておいた。そこを良く使うようになった。
私は数日前から、望遠レンズを付けたカメラを手元へ置いて待っていた。動き回るのでなかなか写せない。昔の300ミリのレンズなので、自動でフォーカスが出来ない。ピントを合わすのに苦労をする。今日、何とか写すことが出来た。
2羽のシジュウガラは、家人との二人暮らしの当家にとっては、大事な家族なのである。雛が育てば、家族が増える。楽しみに待つことにしよう。
止まり木の4景を早速お届けする。
2012年3月2日金曜日
茅野で見たメジロ
小鳥1題
海岸から余り離れていない地方では、冬になれば小鳥の「メジロ」が多く見られる。相模原でも庭の椿や、梅、桜などの花にきて蜜を吸う姿が目にとまる。
今、信州茅野に滞在中だが(標高1,000メータ弱)、ここでは「メジロ」はあまり見かけない。九州にいた子供の頃には、冬、森によく獲りに行ったものである。「鳥もちの木」の皮を小刀で剥ぎ、石で搗く、繊維を水で洗い流すと鳥もちが残る。それを空のクリームビンなどへ入れて持ち歩く。安いナイフ(銘に肥後ノ守)だが、良く研ぎあげてある小刀を、子供達は常時ポケットにしのばせていた。籠に入れた囮のメジロを提げて森へ入る。手ごろな木の枝を切り取り、手を唾で濡らし(乾いていると鳥もちが手にくっ付いてしまう)鳥もちを巻きつける。囮の籠を椿の木に掛け、メジロがとまりそうな処にその枝を配置する。藪に隠れ胸をドキドキさせながら、鳥が来るのを待つ。メジロが寄って来る。そして枝にとまる。すばやく駆け寄り、下にぶら下がり始めたところをすかさず手に取る。鳥もちが羽などへ付く前に手に捕るのがコツなのだ。
今ではメジロを獲ったり飼ったりするのは禁止されている。当時はおおらかなものだった。そんな遊びが中心で、勿論勉強などはしている暇は無かった。
さて私は、メジロは夏には高山に帰り、そして卵を産み育て、冬に平地へ降りてくる鳥と認識していた。ところが茅野では見かけない鳥と思っていたメジロが庭へやって来ていた。カメラへ収めた時には、巣を探しに良く来ているシジュウガラと勘違いしていた。
皆さんにとっては、あまり珍しくもない小鳥と思えるのだが、高原で垣間見た、私にとって懐かしいメジロが、軒先の百日紅の枝にとまっている。その姿をご披露いたしたい。
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