2014年9月24日水曜日

秋の味覚に思う

「信州茸採り物語」

 長野県の男衆はキノコ狩りが大好きである。秋になると山林脇の道路に車が止まっているのをよく見かける。彼らが山へ入っている秋の風物詩である。朝早く、自分だけが知っている場所へ行きマツタケを狙う。熊の出没などにはあまり気にかけてないようである。
 今日、友人でもある一級建築士の先生が、取り立てのキノコをたくさん持ってきてくれた。茅野の家などを手掛けてもらった先生である。多分、仕事はそっちのけで、山へ入っているのだろう。
 私には茸の知識は全くない。「マツタケ」「ウラベニホテイシメジ」「いくち」「クリタケ」、それに名前は聞いたが覚えきれなかった茸。都合5種類。頂いたキノコを写真でご披露したい。

 話は変わるが、今年はキノコが豊作とのことである。土地の新聞は次のようなことを伝えている。私が住む茅野から、八ヶ岳の尾根を反対側に超えた佐久地方は「マツタケ」の産地であるが、いまだ出荷していない。と云うのは放射能セシウムの濃度が高く、出荷を禁止されているとのことである。
東京電力の福島原子力発電所の事故から、もう3年半経っている。こんなに遠く離れているところでの話である。
 他方、将来の総理候補とはやされている担当の女性大臣が、粛々と原子力発電政策をすすめると発言した旨、同紙が伝えていた。彼女は2児の母とのことであるが。
 この国はどこへ行くのであろうか。

                  マツタケと大きなキノコ達


                  クリタケなど小さなこの子達


                  広げた色々な茸類

2014年9月20日土曜日

武将 樋口次郎兼光

「樋口次郎兼光」

 先日(9月18日)、私の住む諏訪地方の隣、辰野町の樋口集落を訪ねた。そこの樋口次郎兼光の墓を訪れるのは今度で何度目であろうか。
 樋口次郎兼光は、信濃源氏の武将、源の義仲(木曽義仲の名前で知られている)の四天王のひとりと云われる伝説の武将である。
 一般的には、義仲はあまり良く云われないようであるが、諏訪大社の神官との関係も強く、信州では愛されている英雄である。
 私の若い友人に樋口兼昭さんという人がいる。氏のお父上が、次郎兼光にあやかって名前を付けられたのだと想像している。氏の祖先だとの思いで親しみを感じ、何度となく訪れ、写真を撮ってくる。
 世が乱世であれば、一方の旗頭になれる才を氏は持ち合わせている。太平の今の世では、中国の古い歴史に詳しいおだやかな学究の徒である。始皇帝の命を受け、不老長寿の薬を求めて旅立った徐福を論じれば右に出るものはいない。
 次郎兼光の墓と、全国に散らばる樋口さん達が編集制作し、氏も大切にしている「本」の映像をご提供する。
 余談になるが、女武者として高名な巴御前は次郎兼光の妹である。
 昨今、何処かの国では、戦争を知らないい軍国少女達が、知性を感じさせないない勇ましい言動で内閣に参加しているようである。

正面

裏面

由来

冊子


2014年9月14日日曜日

秋の風物

秋の風物

「干瓢つくり」

版画の仲間から冬瓜(とうがん)を貰った。長さ1メーター程の大きさである。
少々持て余し気味で、処理に困り、暫らくそのままにしていた。
ここ2、3日お天気が続いている。一念発起、かみさんと干瓢を作ることにした。
皮むき器を利用して薄くけずり、そして干す。
庭の井戸脇に立つサンシュウの樹から、畑の豆の棚へ紐を張り、それに掛けて干した。
思ったより薄くけずれたので、すぐ乾き、干瓢が出来上がるだろう。
今朝は冷え込み、外の気温は11度だった。寒いのでストーブをを入れてしまった。
秋の気配急である。