2014年9月20日土曜日

武将 樋口次郎兼光

「樋口次郎兼光」

 先日(9月18日)、私の住む諏訪地方の隣、辰野町の樋口集落を訪ねた。そこの樋口次郎兼光の墓を訪れるのは今度で何度目であろうか。
 樋口次郎兼光は、信濃源氏の武将、源の義仲(木曽義仲の名前で知られている)の四天王のひとりと云われる伝説の武将である。
 一般的には、義仲はあまり良く云われないようであるが、諏訪大社の神官との関係も強く、信州では愛されている英雄である。
 私の若い友人に樋口兼昭さんという人がいる。氏のお父上が、次郎兼光にあやかって名前を付けられたのだと想像している。氏の祖先だとの思いで親しみを感じ、何度となく訪れ、写真を撮ってくる。
 世が乱世であれば、一方の旗頭になれる才を氏は持ち合わせている。太平の今の世では、中国の古い歴史に詳しいおだやかな学究の徒である。始皇帝の命を受け、不老長寿の薬を求めて旅立った徐福を論じれば右に出るものはいない。
 次郎兼光の墓と、全国に散らばる樋口さん達が編集制作し、氏も大切にしている「本」の映像をご提供する。
 余談になるが、女武者として高名な巴御前は次郎兼光の妹である。
 昨今、何処かの国では、戦争を知らないい軍国少女達が、知性を感じさせないない勇ましい言動で内閣に参加しているようである。

正面

裏面

由来

冊子


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