2012年5月17日木曜日

早朝散歩で山菜を採った

今朝、水を張った水田脇や、畑地脇をめぐり、雉の声を聞き、その姿を確かめながら、家人と散歩した。興に乗り山道にも足を延ばした。そして山うど、のぶき、山のみつば、3種類の山菜を採ってきた。今夜はそれらが食卓に上がるだろう。今日こそは減量の始まりと、お酒を控えるつもりで居たが、それは明日までお預けとしよう。春の香りをタップリ含んだ映像3題をお届けする。 やまうど
のぶき
山のみつば

Raymond Chandler 考

外国の本を求めるのに大変便利な時代になった。Amazonが日本に進出してきたのは10年ほど前であったろうか。以前は、東京に住んでいても、丸善か、紀伊国屋に行き注文しなければ手に入らなかった。今、私は長野県の田舎に住んでいるが、ネットで居ながらに洋書を手にすることが出来る。 新聞雑誌で何回となく紹介されている有名な「セリフ」がある。ハードボイルド作家、Chandlerの作品playbackで、作中の私立探偵Marloweに言わせる言葉である。事件が解決する終盤に、護衛していた美しい女性と、一夜をともにした後の分かれるときの会話である。 一般的な日本語訳では、「男は強くなくては、生きてはいけない。優しくなくては生きていく資格はない」となっている。これとは微妙に違うが、早川書房から出ている、清水俊二氏の翻訳があるので、参考にされたい。 受験英語の域を出ない、私の拙い英語力でも何度となく、読み進むうちに魅せられる文体である。米書EVERYMAN`S LIBRARYのPlaybackから、サワリの部分を抜粋させて頂く。ご自分の好みで日本語にして見ては如何であろうか。 When Betty came out of the bathroom she looked like a fresh opened rose, her make-up perfect, her eyes shining, every heir exactly in place. : : “Haven’t you ever been in love? I mean enough to want to be with a woman every day, every month, every year?”  “Let’s go.” “How can such a hard man be so gentle?” she asked wonderingly. “If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.” I held her coat for her and we went out my car. On the way back to the hotel she didn’t speak at all. 前から好きであった言葉であるが、殺伐とした日本の今の世情をかんがみ思い出したい言葉である。 (抜粋させて頂いたEveryman’s Library に謝意を表します)

2012年5月13日日曜日

春の白駒の池

「白駒の池」 高気圧に覆われ今朝は快晴。予定では農協で苗を買い、畑に植えるつもりだったが、急遽変更して麦草峠とその近くの白駒の池に行くことにした。白駒の池は海抜2,100m、雪の状態が心配だった。午前10時には到着、車を駐車場に預け、歩き始めた。道に残る雪は凍りついていたが、歩けない程ではなかった。池は一面氷が張り詰め、その上に積もる雪も未だ融けてはいなかった。左回りで池を一周した。途中の東屋で休息、一緒になった登山姿の若いご夫婦は須坂から来たとのこと。アイゼンをつけ「にゅう」まで行き「中山」のほうを周って来るとのことだった。私達夫婦は池の周回を終え、12時過ぎには、茅野の家に帰り着いた。夏の白駒の池は、高地の樹林帯の中にあるとても美しく、素晴らしいところであるが、凍りついた今の季節も捨てたものではない。写真でご紹介する。 麦草峠にて
白駒の池入り口
樹林帯
氷に覆われた白駒の池
残雪の路

2012年5月12日土曜日

遅霜が来た

「連休過ぎの遅霜」 今朝(5月12日)、庭の畑の表面が白くなり霜が降りていた。井戸の柱(1.2m)の温度計は1℃、多分、地表面では氷点下になっていると思われる。標高925m(GPS測値)の茅野の地でも珍しいことである。もう霜は大丈夫だろうと昨日、ポットで芽を出していた枝豆を畑に移植した。ジャガイモは既に芽を出している。霜枯れを心配している。種を蒔いた他の野菜は土の中なので安心しているが、苗で植えるものは暫く待つとしよう。満開の八重桜と、霜の降りた畑が共存している庭の情景を、花粉の症状に悩みながらお届けする。 表面が白い畑
満開の八重桜

2012年5月3日木曜日

いつか来た道

「いつか来た道」 第2次世界大戦を導いた世代の人達は、殆んど世を去った。また、それに翻弄され、辛酸を味わった世代の方々も少なくなっている。敗戦の1945年(昭和20年)に生まれた人達が66歳になる。長寿社会になったとは言え、戦争とその後の世情を知っている世代は少なくなってきた。地震、津波、原子力発電所事故、など数々の不幸な出来事が重なっている。昨今、政治家達は政局に明け暮れ、混迷を深めている。国民はうんざりしている。 それに乗じて、西の方では威勢がよく、歯切れのいい言葉で啖呵を切る人物も出てきた。国歌を歌っているかどうかを、唇をみて判断処分し、また昨今は、市職員が刺青を入れているかどうかを調査し始めたとのことである。なるほど、刺青を入れ(眉に入れている人も多いようである)、耳に穴を開けイヤリングをしているのを見ると、私も苦々しくは思うが、それは風俗であり趣味の世界であるようだ。 東では年配の都知事閣下が、首都直下型地震の危険への対処など何処ふく風で、尖閣諸島を東京都で買うなどと、国民受けの良いパフォーマンスをしている。 何か危険な予感をかんじる。われわれ日本人は一方向に揺れだすと、その方向に極端に走り出しがちな気質がある。独裁者を出さずゆっくりとではあるが、少しずつ国民の幸福な生活を築くのが民主主義なのであろう。あの悲惨な戦争を繰り返すことの無いよう願うのは私だけであろうか。次世代の人達に、あの平和の無い不幸な時代が再び来ないよう願いながらの、憲法発布から60年の記念日の今日に思う感慨である。