昔、船乗りだった私は相模湾の真鶴にヨットを係留し、海との関係を保っています。かって、海を捨てたことへの贖罪なのでしょう。また、山に郷愁を覚え、1年の大半を八ヶ岳の山ろくで過ごしています。標高1000メータの地で、自然へドップリト浸かり今を生きています。
2012年5月3日木曜日
いつか来た道
「いつか来た道」
第2次世界大戦を導いた世代の人達は、殆んど世を去った。また、それに翻弄され、辛酸を味わった世代の方々も少なくなっている。敗戦の1945年(昭和20年)に生まれた人達が66歳になる。長寿社会になったとは言え、戦争とその後の世情を知っている世代は少なくなってきた。地震、津波、原子力発電所事故、など数々の不幸な出来事が重なっている。昨今、政治家達は政局に明け暮れ、混迷を深めている。国民はうんざりしている。
それに乗じて、西の方では威勢がよく、歯切れのいい言葉で啖呵を切る人物も出てきた。国歌を歌っているかどうかを、唇をみて判断処分し、また昨今は、市職員が刺青を入れているかどうかを調査し始めたとのことである。なるほど、刺青を入れ(眉に入れている人も多いようである)、耳に穴を開けイヤリングをしているのを見ると、私も苦々しくは思うが、それは風俗であり趣味の世界であるようだ。
東では年配の都知事閣下が、首都直下型地震の危険への対処など何処ふく風で、尖閣諸島を東京都で買うなどと、国民受けの良いパフォーマンスをしている。
何か危険な予感をかんじる。われわれ日本人は一方向に揺れだすと、その方向に極端に走り出しがちな気質がある。独裁者を出さずゆっくりとではあるが、少しずつ国民の幸福な生活を築くのが民主主義なのであろう。あの悲惨な戦争を繰り返すことの無いよう願うのは私だけであろうか。次世代の人達に、あの平和の無い不幸な時代が再び来ないよう願いながらの、憲法発布から60年の記念日の今日に思う感慨である。
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