2014年12月26日金曜日

トマ・ピケティ「21世紀の資本」

<他人の褌でブログを書く>

トマ・ピケティ「21世紀の資本」

 世界にセンセイションを巻き起こしている、トマ・ピケティ著「21世紀の資本」の邦訳本が出版されたとのニュースを見た。
 物好きで、好奇心の強い私は、直に注文を出した。こんな田舎に住んでいても、ネットで発注すれば翌日には届く。便利な世の中に感謝もしている。
 手元に着いた本は、本文部分が600ページ、原注が100ページ、あわせて700ページもある分厚いものである。さて、エコノミストでもなく、経済学者でもない私が読むとすると、大変な時間が掛かると思われる。とは言え日本語で書かれているので、理解は出来そう。いずれじっくり読むとして、大雑把に理解出来る、アンチョコ本を探すことにした。
 あった!あった!在りました。
 「日本人のためのピケティ入門」池田信夫作 東洋経済新報社発行(12月25日発刊)。

 「他人の褌で相撲をとる」という言葉があるが、なんと目から鼻に抜けるような今の
我が国の時勢である。呆れながらも、これなら1・2時間で読めそう。早速、取り寄せた。

 本命の本は、いずれ読むか、それとも<机に積読>との手もある。そう云えば、先だって入手した「昭和陸軍の研究上下」保坂正康著、「永続敗戦論」白井聡著、も机にある。

 かく云う私も「ひとの褌でブログを書いている」ことになるのであろうか。

 机に並ぶ、目下の愛読書の映像をお届けする。





2014年12月4日木曜日

原発と過疎

「川内原子力発電所」

 過日、中学同期会で古里を訪れた。そこは、川内の北30キロ程に位置する薩摩の北端に位置する。
 想像以上に過疎化はすすんでいた。嘗て、私たちは鹿児島本線の折口駅を利用し、蒸気機関車に引かれた列車で、高校に通っていた。新幹線が出来、鹿児島本線は廃止された。今は「オレンジ鉄道」と呼んでいる。

 空港からレンタカーを利用していたので、再稼動するという川内原発を見に行って来た。
近くで、初めて原子力発電所を見た。その大きさにも驚いた。門にはお巡りさんが警備していおり、カメラを断られた。
 近くにある資料館で、多少勉強したあと、館内の良く見える場所から写真を撮らさせてもらった。

 さて、衆院選挙戦最中で、政治家(政治屋?)連中が勝手なことを叫びあっているようである。格差は広がり、地方の過疎の歯止めもままならず、福島もホッタラカシ、沖縄の基地問題等々、問題山積のこの国は何処へ行くのであろうか。各紙の世論調査によれば、自民党の圧勝とか。「扱いやすい衆愚ども」とにんまりほくそ笑んでいる者の姿が目に見えるようである。
日銀や国が関与し株価は上がり、円は下がる。各付け会社が日本国債を格下げしたが、どこ吹く風の官僚たち。
 所詮、衆愚のわれ等、孫子の為にも何もできず、民主主義とはこんなものよと諦めるしかなさそうである。
 立派な原子力発電所と、過疎のすすんだ田舎の駅の姿をご披露する。

                     川内原子力発電所


折口駅


オレンジ鉄道の電車


2014年11月9日日曜日

ジニ係数と布袋さま

「ジニ係数と布袋さま」物語


 新聞・経済誌に「富裕層」、「貧困層」、「富の偏在」とかの活字が躍り、所得分配の不平等化を論評する記事が増えている。トマ・ピケティ氏の「21世紀の資本論」が世界中で売れているらしい。
 ジニ係数が0.4を上回れば、暴動が起きやすく社会騒乱多発のレベルだそうである。ちなみに、わが日本のジニ係数は2011年で0.5536とか。数字ではすでに危険水域を超えている。
 お上の意向に従順な国民性ゆえなのであろう、静かなものである。非正規雇用、季節労働者、パート従業員、そういう人たちが増え続けている。
 政府は消費税をあげる一方、法人税を下げる。東京市場では、日銀の金融緩和とGPIF(年金の資金)の株式等の買い入れで、株価が跳ね上がっている。

 さて閑話休題。
 過日、三河方面へ旅する機会があり、常滑焼きのお店に寄った。目についた布袋さまを2体購入した。右手に托鉢皿を持れた1体と、左手に托鉢皿を持たれた1体と、どちらにしようかと迷ったのだが、両方だとご利益が倍になると思い、そうした。
 帰宅し、仕事部屋に鎮座頂くことにした。高いところから私の机を見下ろしながら、多分、幸せをもたらせて下さると思う。
 もしかして、私も富裕層に入れるかもしれない。あとの残り少ない人生に微かな望みを託すことにしよう。私の敬愛することになった「ほてい様」をご披露する。
 大変ふくよかなお姿である。


2014年11月3日月曜日

八ヶ岳初冠雪

「恥ずかしげに薄化粧」

 数日、曇りや雨の日が続いていた。今朝、久しぶりの晴れで散歩に出た。
 里の黄(紅)葉を見ながら八ヶ岳に向かって歩いた。初冠雪に気が付き、カメラを取り出しては見たのだが、そこら中に雲があり、それが八ヶ岳の頂上あたりにたむろして引っ掛かる。
 頂上の雲が切れると別の雲が日光を遮り、影を作る。2時間ほどの散歩の間、写真を撮る機会は来なかった。
 午後、ベランダに出て、何とか数枚の写真が撮れた。ご披露して、ご報告とする。

 
                         赤岳と阿弥陀岳


権現岳


横岳、赤岳、阿弥陀岳


2014年10月19日日曜日

紅葉狩り

「白樺林とシラカンバ」

昨日、紅葉狩りへ出かけた。蓼科側から麦草峠を越えて佐久へ下り、野辺山高原をとおり茅野へ帰ってきた。八ヶ岳をぐるりと一周してのドライブとなった。
佐久穂町(佐久町と八千穂村が合併)の八千穂高原にある白樺林は日本一と云われている。北海道の白樺林を除いてかもしれないが。
麦草峠あたりの高度の高いところでは、ダケカンバが多い。少し下がると白樺になるようである。(この辺ではシラカンバとも呼んでいる)。

その白樺の映像をお届けする。
八千穂レイクと名前を付けた大きな農業用水があり、景色に風情をそえている。
          
               
                      白樺林 


シラカンバ林


                           赤い実と白樺


                            湖畔の白樺


                            まつむし草


2014年10月12日日曜日

お江戸下町めぐり

「お江戸下町めぐり」

10月初旬にかけて1週間ほど東京に滞在した。
柴又帝釈天、矢切の渡し、雑司が谷の鬼子母神、浅草、それに新しくなった東京駅を巡り
おのぼりさんの、見物と相成った。
地下鉄、山手線、都電、私鉄、懐かしい乗り物を利用した。歩いたり、階段の昇り降りで大いに疲れた。都会の方々は、運動不足にはなりそうにない。田舎暮らしでは、出かける時は車、わざわざ散歩やら、山登りをして運動を心がけているのだが。


江戸の下町巡り8景をお届けする。
           
                  帝釈天

                  ようこそ柴又へ

                 トラさんと

矢切の渡し


鬼子母神入口


鬼子母神


浅草

新装なった東京駅


2014年9月24日水曜日

秋の味覚に思う

「信州茸採り物語」

 長野県の男衆はキノコ狩りが大好きである。秋になると山林脇の道路に車が止まっているのをよく見かける。彼らが山へ入っている秋の風物詩である。朝早く、自分だけが知っている場所へ行きマツタケを狙う。熊の出没などにはあまり気にかけてないようである。
 今日、友人でもある一級建築士の先生が、取り立てのキノコをたくさん持ってきてくれた。茅野の家などを手掛けてもらった先生である。多分、仕事はそっちのけで、山へ入っているのだろう。
 私には茸の知識は全くない。「マツタケ」「ウラベニホテイシメジ」「いくち」「クリタケ」、それに名前は聞いたが覚えきれなかった茸。都合5種類。頂いたキノコを写真でご披露したい。

 話は変わるが、今年はキノコが豊作とのことである。土地の新聞は次のようなことを伝えている。私が住む茅野から、八ヶ岳の尾根を反対側に超えた佐久地方は「マツタケ」の産地であるが、いまだ出荷していない。と云うのは放射能セシウムの濃度が高く、出荷を禁止されているとのことである。
東京電力の福島原子力発電所の事故から、もう3年半経っている。こんなに遠く離れているところでの話である。
 他方、将来の総理候補とはやされている担当の女性大臣が、粛々と原子力発電政策をすすめると発言した旨、同紙が伝えていた。彼女は2児の母とのことであるが。
 この国はどこへ行くのであろうか。

                  マツタケと大きなキノコ達


                  クリタケなど小さなこの子達


                  広げた色々な茸類

2014年9月20日土曜日

武将 樋口次郎兼光

「樋口次郎兼光」

 先日(9月18日)、私の住む諏訪地方の隣、辰野町の樋口集落を訪ねた。そこの樋口次郎兼光の墓を訪れるのは今度で何度目であろうか。
 樋口次郎兼光は、信濃源氏の武将、源の義仲(木曽義仲の名前で知られている)の四天王のひとりと云われる伝説の武将である。
 一般的には、義仲はあまり良く云われないようであるが、諏訪大社の神官との関係も強く、信州では愛されている英雄である。
 私の若い友人に樋口兼昭さんという人がいる。氏のお父上が、次郎兼光にあやかって名前を付けられたのだと想像している。氏の祖先だとの思いで親しみを感じ、何度となく訪れ、写真を撮ってくる。
 世が乱世であれば、一方の旗頭になれる才を氏は持ち合わせている。太平の今の世では、中国の古い歴史に詳しいおだやかな学究の徒である。始皇帝の命を受け、不老長寿の薬を求めて旅立った徐福を論じれば右に出るものはいない。
 次郎兼光の墓と、全国に散らばる樋口さん達が編集制作し、氏も大切にしている「本」の映像をご提供する。
 余談になるが、女武者として高名な巴御前は次郎兼光の妹である。
 昨今、何処かの国では、戦争を知らないい軍国少女達が、知性を感じさせないない勇ましい言動で内閣に参加しているようである。

正面

裏面

由来

冊子


2014年9月14日日曜日

秋の風物

秋の風物

「干瓢つくり」

版画の仲間から冬瓜(とうがん)を貰った。長さ1メーター程の大きさである。
少々持て余し気味で、処理に困り、暫らくそのままにしていた。
ここ2、3日お天気が続いている。一念発起、かみさんと干瓢を作ることにした。
皮むき器を利用して薄くけずり、そして干す。
庭の井戸脇に立つサンシュウの樹から、畑の豆の棚へ紐を張り、それに掛けて干した。
思ったより薄くけずれたので、すぐ乾き、干瓢が出来上がるだろう。
今朝は冷え込み、外の気温は11度だった。寒いのでストーブをを入れてしまった。
秋の気配急である。



2014年7月21日月曜日

続々木版画物語 錦帯橋

昨年1月30日でご紹介した「続き木版画物語」の後編である。
未完成の版木を公開したが、作品が何とか出来あがったので公開したい。数年前訪れた山口の「錦帯橋」を版画にしたものである。
彫りかけの版木のほうが、多少立派なような気がするが。

                        錦帯橋

2014年3月1日土曜日

「蔵」のある風景

「木版画物語」

隣の原村に中新田という集落がある。新田とあるので新しい開拓地と想像されがちだが、
昔開かれたところのようで、古い集落である。今は、高原野菜の収穫量も多い豊かな農家が軒を列ねている。一歩部落に足を進めると、大きく立派な蔵が散見される。

その一つを白黒の木版画にしてみた。ご披露してみたい。