2012年12月21日金曜日

冬至


「今日は冬至」
今朝は快晴だった。太陽は八ヶ岳の南の端に位置する編笠山の裾野の稜線から登って来る。太陽は今日が最も南にさがっている筈である。
7時25分20秒、日光が室内に射し込んで来た。外の気温はマイナス8度。明日から少しづつ朝が早く来るのであろう。
寒さが和らいだ頃を見計らい、散歩へ出かけた。雲がひろがり始めたが、八ヶ岳はそれなりの美しさである。冬至の山をカメラで捉えた。ご披露してみる。今夜は柚子のお風呂であったまり日本酒で酔ってみたい。


2012年12月13日木曜日

八ヶ岳が美しい


「今日の八ヶ岳」
今年の冬は早く来たようだ。生垣の剪定、立ち木の枝切りなど未だなのに、雪も降ってしまった。作業の遅れに困惑している始末である。
その寒さのせいで、八ヶ岳が美しい。
午後の光の中,左から赤岳、阿弥陀岳、権現岳をおさめた一枚をお届けする。2階のベランダからの写真だが、ご容赦を。


2012年12月2日日曜日

木版画物語

木版画物語
「来年の版画カレンダー」
長野県諏訪郡原村にある「原版画の会」に所属し、私は下手な版画を楽しんでいる。白と黒を使った素朴な版画である。なぜか私はその素朴さが好きである。小学生の工作の時間に手ほどきをうけ、彫刻刀を使ったことが原点にあるのでは、とも思う。版画は日本の文化のいたるところに顔を出してる。広重などは何処かで常にに目に触れている。
それはともかく、私たちは来年の「版画カレンダー」を仕上げたところである。当地の風景、習慣、風俗などを題材にした、横40センチ、縦55センチのかなり大きなものである。それを100部作り好きな方々へお配りしている。
先日、テレビ報道から私どものホームページにたどり着いた、関西にお住いの女性の方から「版画カレンダー」が欲しいとのメールをお受けした。女性からのご要望は幾つになっても楽しいいものであり、心をときめかす。勿論すぐお届けした。メールの文面からうかがうと多分心優しく、それに美しい人であろう。公開のラブコールにしよう。
カレンダーの全部はご紹介できないが、写真でその一端をご披露する。(HPは「原版画の会」でヒットする)





2012年10月25日木曜日

横谷渓谷の紅葉

「横谷渓谷の紅葉」 蓼科の横谷峡へ紅葉を見に訪れた。標高1,400メータ程にある渓谷である。住まいから車で僅か15分もかからない。紅葉の素敵な渓谷である。カメラに納めてきたが、そのまま眠らせるには勿体ない。ご披露してみる。

2012年10月24日水曜日

薄化粧の八ヶ岳

「八ヶ岳薄化粧」 八ヶ岳の初冠雪は10月19日だったが、その後の好天で消えてしまっていた。23日夜は、前線をともなった低気圧が日本列島を縦断し、各地に被害をもたらした。八ヶ岳の麓でも雨が降った。今朝は八ヶ岳が薄く化粧をしてあらわれた。その姿をを写真2葉でご報告する。長野県全域に霜注意報が出ていたが、庭には霜は未だだった。紅葉が奇麗になりつつある。素敵な映像が取れたらご紹介したい。

喜寿に思う

「喜寿に考える」 1935年10月13日生まれの私は13日、77回目の誕生日を近くの割烹で家族から 祝ってもらった。よくもまあ長く生きてきたものと考えてもいる。 日数にしてみると、77年×365日≒28,105日。 時間にすると、28,105日×24時間=674,520時間 大きな数字が飛び交う現代の日常から見ると、そんなに長い期間では無いようにも思える。 実感としては長くもあり、短くもありと言うのが正直なところだ。 今のところ体は元気である。頭脳明晰とはいかないが惚けてはいないとの自覚である。 今後どういう生き方を、どれくらいの期間すごして行くのであろうか。 なかなか難しい課題である。いろんなことに好奇心を持ち、時を意識せず自然体で生きて 行くということか。 神奈川からの長男夫婦、東京からの次男夫婦と孫2人、それに私と妻女、都合8人の3世代家族の記念写真。 目出度くもあり、目出度くもなし。

2012年9月28日金曜日

信州歴史散歩

「真田氏一族を偲ぶ」 朝起きてみると快晴。出かけて見たくなった。家人と意見が一致、真田氏ゆかりの地を訪ねて来た。茅野の住まいの前を通る国道152号を北上、1時間少しで上田城に着いた。上田城のあと、真田一族の発祥の郷へと足を延ばした。写真でご紹介してみたい。 上田城西櫓 入り口 真田氏本城跡

2012年9月26日水曜日

栗ひろい

「季節を味わう」 栗が実る季節になった。朝の散歩で林の傍を歩いていると栗が落ち始めた 。栽培の栗ではなく、自然に生えてきた天然の木で実も小さい山栗である。今朝も妻女と拾ってきた。小ぶりだが甘味が強く香りも濃い。皮をむいたり渋皮を取るのは面倒だが、季節を味わう喜びには代えがたい。早速、夕飯は栗ご飯となり秋の香りを味わった。採ったばかりの光を放つ栗の写真で、田舎暮らしの一端をご披露したい。

2012年9月14日金曜日

鷲ヶ峰と八島湿原の花たち

今朝、天気がよかった。衆議一決(家人と2人きりだが)、近くの鷲ヶ峰と八島湿原を歩くことに決まった。朝食をとり、おにぎりを作り7時半には住まいを出、8時過ぎには歩き始めた。そして秋の山の花々と出あった。その姿をお届けする。 トリカブト アザミと吾亦紅 マツムシソウ 八島湿原

2012年9月13日木曜日

「平成の明智光秀」納得

「平成の明智光秀」納得 矢張りそうだったのか。と納得した次第。 石原都知事が、暫らく前から尖閣列島で騒ぎをお越し、中国を刺激していた。何故だろうと訝しく感じていたら、息子の国取り物語の伏線だったようだ。愛国心の名のもとに国民をあおり、政府を困らせる。息子の自民党幹事長は、参議院で理屈に合わない問責に賛成し、その責任を谷垣氏に押し付ける。早速総裁選に出る。 考えたものである。国が少々傷ついても、自分たちが国取に成功すれば万々歳である。おだてに乗った谷垣氏も迂闊であったが、石原一家の策謀には嵌まってしまったようだ。それにしても愛国心を装い、国の威信を損ない、民を欺くとは作家上がりの政治家らしい。 「平成の明智光秀」石原氏の今後を注意して見ていこう。 政治が嫌いな私だが、あまりにも酷いので一言述べて見た次第。

2012年9月12日水曜日

高原の実りの風景

今朝も恒例の散歩に出かけた。5時半、日の出前に住まいを出た。朝日が海から上がるのと違い、八ヶ岳から昇るのでここでは幾らか遅い日の出である。今高度1,000メータの田んぼでは稲が頭をたれ始めた。西に位置する諏訪湖の方から、沢伝いに霧と言おうか垂れ込めた雲状のガスが這い上がってくる。高原特有の風景である。 稲穂の実るさまは、私に安堵の気分をもたらしてくれる。稲作農耕民族の血を持つが故なのだろうか。神への感謝の念が自然に出てくる。信心らしいものを持ち合わせていない私でさえも。 新米や、稲刈りのニュースが流れてくる。ここでの取り入れは今月末から来月にかけてと思われる。高地の稲穂の風景2葉をお届けしたい。

2012年9月4日火曜日

ヒマラヤ行き準備

東京周辺に住んでいる若い友人たちが、大弛峠から金峰山へ行くとの情報を得た。 実はその中の一人が、ひと月前に大きな手術をした。そして彼らは今年後半に予定しているヒマラヤ行きのために、彼のリハビリを兼ねての訓練だという。 茅野に住んでいる私も行って見ることにした。昨日(9月3日、)家人と二人で早朝出発し、携帯で連絡を取りながら大弛峠で合流した。5名と私たち2名、計7名で金峰山に向けて歩き始めた。 曇りで展望は望めなかったが、なだらかな山道を進んだ。彼は大丈夫のようである。登山、山スキー、渓流釣りと日ごろの鍛錬で回復も早いのだと思う。私と家人2人は、途中の朝日岳から引き返すことにし彼らを見送った。ヒマラヤ行きまでに、高地に馴れるため更に富士山登山も計画しているようである。 いつもの八ヶ岳とは違う場所での山歩きであり、また気の置けない仲間との久しぶりの山での時間は楽しいものであった。朝日岳での記念ショット2葉お届けする。カメラマンが入れ替わり同じような写真であるが、ご容赦を。

2012年7月20日金曜日

久しぶりの版画

数年前に白河郷を訪れた。その折、明善寺の鐘楼門をカメラに撮ってきた。それを版画にして見た。怠け者の私には今年初めての作品(?)である。出来不出来にかかわらず、希少価値だけは在りそうである。厚顔をかえりみずご披露して見る。

2012年6月8日金曜日

蕨採りとクリンソウ

昨日(6月7日)天気が良かったので、西岳(南八ヶ岳)の西側の国有林へワラビ採りに妻女と行って来た。登山道とは別に、唐松沢林道と呼ばれる道が幾筋も西岳を巻いている。のんびりと初夏の山菜採りには適した場所である。丁度今、この標高1,500メータ地点でワラビが採れる。それより低いと、もう親になり食べるには硬い、それより高いと未だワラビは出ていない。楽しみながらの採集でも、沢山採れた。 途中、少量の水が流れている小川で、九輪草(クリンソウ)の群落と出合った。目の保養をさせて貰いカメラに収めてきた。 登山シーズンへ向けてのトレーニング、プラス食材収穫、おまけに美しい花と出合えて大満悦。皆さまへは、クリンソウ3景をお裾分けお届けする。もしご来訪あれば、貯蔵したワラビを肴に諏訪の銘酒で一献傾けたい。お待ちしている。

2012年5月17日木曜日

早朝散歩で山菜を採った

今朝、水を張った水田脇や、畑地脇をめぐり、雉の声を聞き、その姿を確かめながら、家人と散歩した。興に乗り山道にも足を延ばした。そして山うど、のぶき、山のみつば、3種類の山菜を採ってきた。今夜はそれらが食卓に上がるだろう。今日こそは減量の始まりと、お酒を控えるつもりで居たが、それは明日までお預けとしよう。春の香りをタップリ含んだ映像3題をお届けする。 やまうど
のぶき
山のみつば

Raymond Chandler 考

外国の本を求めるのに大変便利な時代になった。Amazonが日本に進出してきたのは10年ほど前であったろうか。以前は、東京に住んでいても、丸善か、紀伊国屋に行き注文しなければ手に入らなかった。今、私は長野県の田舎に住んでいるが、ネットで居ながらに洋書を手にすることが出来る。 新聞雑誌で何回となく紹介されている有名な「セリフ」がある。ハードボイルド作家、Chandlerの作品playbackで、作中の私立探偵Marloweに言わせる言葉である。事件が解決する終盤に、護衛していた美しい女性と、一夜をともにした後の分かれるときの会話である。 一般的な日本語訳では、「男は強くなくては、生きてはいけない。優しくなくては生きていく資格はない」となっている。これとは微妙に違うが、早川書房から出ている、清水俊二氏の翻訳があるので、参考にされたい。 受験英語の域を出ない、私の拙い英語力でも何度となく、読み進むうちに魅せられる文体である。米書EVERYMAN`S LIBRARYのPlaybackから、サワリの部分を抜粋させて頂く。ご自分の好みで日本語にして見ては如何であろうか。 When Betty came out of the bathroom she looked like a fresh opened rose, her make-up perfect, her eyes shining, every heir exactly in place. : : “Haven’t you ever been in love? I mean enough to want to be with a woman every day, every month, every year?”  “Let’s go.” “How can such a hard man be so gentle?” she asked wonderingly. “If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.” I held her coat for her and we went out my car. On the way back to the hotel she didn’t speak at all. 前から好きであった言葉であるが、殺伐とした日本の今の世情をかんがみ思い出したい言葉である。 (抜粋させて頂いたEveryman’s Library に謝意を表します)

2012年5月13日日曜日

春の白駒の池

「白駒の池」 高気圧に覆われ今朝は快晴。予定では農協で苗を買い、畑に植えるつもりだったが、急遽変更して麦草峠とその近くの白駒の池に行くことにした。白駒の池は海抜2,100m、雪の状態が心配だった。午前10時には到着、車を駐車場に預け、歩き始めた。道に残る雪は凍りついていたが、歩けない程ではなかった。池は一面氷が張り詰め、その上に積もる雪も未だ融けてはいなかった。左回りで池を一周した。途中の東屋で休息、一緒になった登山姿の若いご夫婦は須坂から来たとのこと。アイゼンをつけ「にゅう」まで行き「中山」のほうを周って来るとのことだった。私達夫婦は池の周回を終え、12時過ぎには、茅野の家に帰り着いた。夏の白駒の池は、高地の樹林帯の中にあるとても美しく、素晴らしいところであるが、凍りついた今の季節も捨てたものではない。写真でご紹介する。 麦草峠にて
白駒の池入り口
樹林帯
氷に覆われた白駒の池
残雪の路

2012年5月12日土曜日

遅霜が来た

「連休過ぎの遅霜」 今朝(5月12日)、庭の畑の表面が白くなり霜が降りていた。井戸の柱(1.2m)の温度計は1℃、多分、地表面では氷点下になっていると思われる。標高925m(GPS測値)の茅野の地でも珍しいことである。もう霜は大丈夫だろうと昨日、ポットで芽を出していた枝豆を畑に移植した。ジャガイモは既に芽を出している。霜枯れを心配している。種を蒔いた他の野菜は土の中なので安心しているが、苗で植えるものは暫く待つとしよう。満開の八重桜と、霜の降りた畑が共存している庭の情景を、花粉の症状に悩みながらお届けする。 表面が白い畑
満開の八重桜

2012年5月3日木曜日

いつか来た道

「いつか来た道」 第2次世界大戦を導いた世代の人達は、殆んど世を去った。また、それに翻弄され、辛酸を味わった世代の方々も少なくなっている。敗戦の1945年(昭和20年)に生まれた人達が66歳になる。長寿社会になったとは言え、戦争とその後の世情を知っている世代は少なくなってきた。地震、津波、原子力発電所事故、など数々の不幸な出来事が重なっている。昨今、政治家達は政局に明け暮れ、混迷を深めている。国民はうんざりしている。 それに乗じて、西の方では威勢がよく、歯切れのいい言葉で啖呵を切る人物も出てきた。国歌を歌っているかどうかを、唇をみて判断処分し、また昨今は、市職員が刺青を入れているかどうかを調査し始めたとのことである。なるほど、刺青を入れ(眉に入れている人も多いようである)、耳に穴を開けイヤリングをしているのを見ると、私も苦々しくは思うが、それは風俗であり趣味の世界であるようだ。 東では年配の都知事閣下が、首都直下型地震の危険への対処など何処ふく風で、尖閣諸島を東京都で買うなどと、国民受けの良いパフォーマンスをしている。 何か危険な予感をかんじる。われわれ日本人は一方向に揺れだすと、その方向に極端に走り出しがちな気質がある。独裁者を出さずゆっくりとではあるが、少しずつ国民の幸福な生活を築くのが民主主義なのであろう。あの悲惨な戦争を繰り返すことの無いよう願うのは私だけであろうか。次世代の人達に、あの平和の無い不幸な時代が再び来ないよう願いながらの、憲法発布から60年の記念日の今日に思う感慨である。

2012年4月30日月曜日

諏訪湖の春を一回り歩く

桜満開の4月29日の諏訪湖を一回り歩いた。快晴、風穏やか、のんびりと桜を観ながら「みずうみ」の春を楽しんだ。諏訪湖は海抜759メーター、周囲16キロメーターの自然湖である。リックに弁当と水とオヤツをいれ、若いとは云えない家人達2人とお喋りしながら5時間余りを掛けての散策であった。湖水、水鳥、桜の風景をカメラにおさめた。数葉ご披露いたしたい。 湖畔の桜1
湖畔の桜2
白鷺3態
噴水と桜